読書の楽しみ方を再確認させてくれた一冊 /『問いの読書術』
Photo:Open book By Felix Schmidt Photography
大澤真幸著『<問い>の読書術』を読んだ。
本書は、社会学者の大澤さんが様々なジャンルの書籍を読んで、問いの促すがままに思考したものを文章化したもの。
要は書評集なのだが、大澤さんが読書を通じて得た問いを基に考察し議論を発展させていく流れは素晴らしく、紹介している本や関連書籍に興味を抱いた。
そして、一冊の本をここまで考察できる力が私にもあれば、もっと読書を楽しめるだろうかと期待を膨らませ、今までの私の読書はなんだったのだろうかと少し後悔もした。
問いの読書をする理由
大澤さんは、本に対して問いを抱き、深く読む理由はこのように述べている。
読書の中心的な喜びは、情報を得るためではなく、問いを与え読者を驚かすことだ。
この問いが促すがままに思考することは、この上ない愉快につながる。自分の世界が広がるのを実感するからだ。
書かれている情報を得て満足するだけが読書ではない。得た情報から、自分がどのように思考を馳せて楽しむかが、真の読書の楽しみ方なのだろう。
思考を馳せ読書を楽しむためには、問いの鉱脈を見つけなければならない。
ただし、問いの鉱脈は、古典など難しい本だけから見つかるものではない。半沢直樹やテルマエ・ロマエなど、小説や漫画からも見つけることができる。どんな本にも問いはある。見つけようと思えば、問いはいくらでも見つけられる。
だが私には、問いの鉱脈を本書のように見つけることができない。その理由は簡単だ。
問いの読書術を行う方法
問いの読書術を行うには、知識が必要だ。問いの鉱脈を多く見つけるには広い知識を、鉱脈を深く掘るには詳しい知識が必要になる。
大澤さんが問いを見つけてから思考の発展は、別の知識とつなぎ合わせることが多かった。
例えば、半沢直樹でおなじみの『オレたちバブル入行組』の概要から、勧善懲悪の水戸黄門に話を移し、半沢直樹とは真逆の物語の例で旧約聖書のヨブ記を挙げる。
この深く広い読みは私にはできないが、話の本になる問いは「なぜ半沢直樹は成功したのか」という単純な問いであった。
こんな単純な問いなら私にもできる。だが、その問いからの発展はできない。
ここで大きな知識の差を感じた。一冊の本に対して、ここまで楽しむためには問いを導く知識も必要になるのだろう。
まえがきに、多読する必要はないが、深く読む必要はあると書いてある。
この主張が当てはまる人は、最低限の教養がある人であり、それすらもない多くの人は、知識の土台を作るために多読する必要があるはずだ。
では、知識の土台を作るために何を学べばいいのか。
この問いが私が本書から得た問いであり、答えはまだ見つかっていない。この問いがもたらした思考は、促されたまま今も続けている。
まとめ
今回の記事は、本書に触発されて情報より自分の思考を中心に書いた。
この記事を読んだ人にとって得るものがあるかわからないけれども、私は書いていてとても楽しく、読書の問いによって自分の世界が広がるのを少しだけ感じた。
読書の目的が情報を得ることになっている人には、ぜひ読んでほしい。