仏教から学ぶ、怒りや不安などネガティブな感情の払い方
Photo:Meditation By HckySo
『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』を読みました。サブタイトルが『晴れやかな日々を送るための仏教心理学講義』となっており、仏教の入門書としても読むことができます。
私が本書を読んでいて興味をもった箇所は、三大煩悩である三毒に触れているところです。
煩悩は108つあると一般的に知られていますが、その中でも三大煩悩と呼ばれるものがあります。
- 怒り・不安・妬みなどネガティブな感情の動きを示す「瞋」
- 欲深さを表す「貪」
- 無智であることを表す「痴」
これらこそ人間が克服すべき煩悩であるとされ、特に取り払うべきとされているものが「瞋」です。
瞋とは
先ほどの説明で、瞋とは怒り•不安•妬みなどネガティブな感情の動きを示すと書きました。これは、生活の中で数多く現れます。
例えば、寝不足で朝を迎えると布団から出たくないという不満が生じたり、満員電車でイライラしたり、些細なことから大きなことまで。
このネガティブな心の動きというのは、大きなものでも小さなものでも、私たちの心と身体にダメージを与えるのです。
そして、この瞋によるダメージが、現実的にマイナスが生じる二次災害(人に当たる、無視するなど人間関係に軋轢が生じること)につながります。そのため、瞋が三毒の一つとされ、仏教では取り払うべき煩悩とされています。
瞋の払い方
瞋がいかに身体に悪いかを書いてきましたが、問題はその払い方です。どうすれば、ネガティブな感情を取り払うことができるのでしょうか。
怒りに気づき、身近なことに集中する
お坊さんは、煩悩を払う行をするために座禅を行います。座禅は自分の怒りに気づき、「今、ここ」に集中し心を鎮めることができるからです。
ただし、坐禅や瞑想を未経験者が行うのはハードルが高く、簡単にできることではありません。
そこで著者は、メガネ拭きを行として行っています。
忙しい日常の中でも、10分ぐらいは「何もしなくていい時間」というのはあるものです。そういうとき、静かに座って、眼鏡を外し、丁寧に眼鏡の汚れを拭き取る。たったそれだけで、頭の中でごちゃごちゃとまとまらなかった考えがすっきりとして、晴れやかな気持ちになります。
このように「今、ここ」に集中できることなら何を行ってもいいので、自分にとって集中できることを見つける必要があります。
私がパッと浮かんだ限りでは、家事全般、ストレッチ、靴紐を結ぶ、スマホの画面拭き、ゲーム、深呼吸、歯磨きなどでしょうか。その他にも、集中するために様々な方法がありそうですね。
もし行ができないのなら、「今、怒ってるな」「今、不安に感じてるな」と心の動きを客観的に観察するだけでも、ネガティブな感情が静まることがわかるかと思います。
朝に行をする
朝起きた後の、どんよりとしたくらい気持ちでまどろんでいると、自動思考が生じます。(中略)
僕はうつ病の患者さんのカウンセリングを行う中で、こうした自動思考がその人の心の基準点を下げる大きな原因となっていることに気づきました。ただ、鬱病の症状が出るほどではなくても、この朝の自動思考で心にダメージを溜めている人は多いと思います。
このように朝の不機嫌な状態で過ごすことは、心へのダメージが大きいようです。
うつ病患者が朝の自動思考によって心の基準点が下がっているということは、朝のネガティブな自動思考を止めなければ、うつ病になってしまう恐れがあるとも捉えることができます。
そのため朝に行をすることで、うつ病を防ぎ心身ともに健康的な毎日を送ることができるようになります。
本書は朝イチのシャワーを薦めていますが、「今、ここ」の集中できるならなんでもいいでしょう。
私はストレッチ、コーヒーを味わって飲む、朝食を味わって食べる、好きな音楽のベース音を集中して聞く、など手軽で簡単にできることをやっています。
まとめ
仏教用語の行と聞くと敷居が高いように感じますが、やっていることは普段と大きくは変わらないことです。
- 怒りに気づき、身近なことに集中する
- 朝の気持ちを晴れやかにする
この二つのために行うことは、コーヒーを味わって飲むなら簡単ですよね。
これからも行っていきたいことですし、これを見た方も心身のためにぜひ参考にしていただければなと思います。