『ぼくのメジャースプーン』読者の道徳を問う小説
辻村深月『ぼくのメジャースプーン』を読みました。
本書は、罰と救済の意味をいま現在に問う泣ける名作と出版社が謳っているように、感動できる作品です。ちょっと切ない小説です。
あらすじ
主人公の小学四年生、「ぼく」には力がある。「○○しろ。さもないと、××になる」という、命令させるか罰を与えるかという能力だ。
ある日、ぼくととても仲の良かった女の子、ふみちゃんが心の傷を負い感情を無くしてしまう。
学校で大事に飼育していたウサギがバラバラにされ殺されていたためである。その犯人は、動機がなく動物が嫌いだからやったと言う。
ぼくは、反省もしていない犯人が許せず力を使って復讐しようとするが、復讐の前に、同じ能力を持つ「先生」と7日間の授業を受ける。
復讐の答えを解く小説
この小説は、復讐をする力を得たときにあなたはどうする?という己の道徳を問われているように感じました。
この小説と同じように、身近な人が傷つけられ不自由な暮らしをしており、犯人は反省もせずに執行猶予がついて自由な暮らしをしている。
そんな状況に立ったとき、あなたはどうしますか。
何もしませんか?それとも復讐をしますか?
復讐をするなら、どのような呪いをかけますか?
この力は、相手ができることならなんでもできます。殺すことも可能です。
あなたはどうする?
主人公のぼくと私を重ね合わせながら読むと、先生に自分の道徳に対して説教されているように思えました。
先生と対話をする場面までは、内心ふつふつと怒りに燃えていたのですが、読み進めていくうちに、怒りよりも疑問が芽生えてきました。
正義ってなんだろう?
そんなことを考えていると、数年前に話題となったマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』が浮かんできました。やはり自分の倫理について問われているように感じます。
復讐には覚悟がいるし、その復讐方法も相手には効果がないかもしれない。復讐方法によっては、被害者と加害者の立場が変わる恐れもある。
そんなリスクのある行動を取る必要があるのだろうか。
主人公のぼくが、犯人への復讐をするための言葉が見つからなくなったと同時に、私も適切な判断は何か分からなくなりました。
今後、ぼくはどのような考えから判断を下すのでしょうか。また、ふみちゃんは感情を取り戻せるのでしょうか。
結末まで大事に丁寧に読んでほしい小説です。
あと読み終えた後に知ったのですが、『ぼくのメジャースプーン』は辻村深月の他作品ともリンクしています。
重要人物である先生は『子どもたちは夜と遊ぶ』の登場人物でもあるので、そちらから読んだほうがいいそうです。ただ、知らなくても楽しめました。