『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』ふつうの青春小説ではない青春小説
桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を読みました。
タイトルだけ見ると、とても甘ったるい青春を描いた小説だと思えるのですが、実際はそんな甘い表現に包まれた残酷な物語です。
※物語の構成上、ネタバレ有りの感想
あらすじ
中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、一刻も早く社会に出て、お金という“実弾”を手にするべく、自衛官を志望していた。
そんななぎさに、都会からの転校生、海野藻屑がやってくる。自分は人魚だと名乗り、不可解な言動を続ける藻屑に周囲は呆れ、なぎさも初めは無関心だったが、どこか魅力的な藻屑となぎさは接していくうちに序々に親しくなっていく。
藻屑の撃つ、妄想という砂糖菓子の弾丸になぎさは惹かれていたのだ。
だが、藻屑は日夜、父からの暴力に曝されており、ある日―。直木賞作家がおくる、切実な痛みに満ちた青春文学。
感想
本書は1ページ目から、海野藻屑がバラバラの死体になって発見される新聞記事から始まります。そこから、藻屑が転校してきたところまで時間を巻き戻し、藻屑となぎさの出会いから終わりまでを描いていきます。
つまり、読者が結末を知った状態から物語が始まるのです。
読み終えた後、何とも言えない余韻に浸ることができます。
子供への虐待の悲劇、学校という子供にとって大きな社会での葛藤、現実と理想のギャップなど、読後さまざまなことを考えることになると思います。
ただ、悲しみを感じるだけではありません。
その理由は、物語のテーマでもある海野藻屑が放つ砂糖菓子の弾丸にあります。
なぜ海野藻屑は人魚を名乗ったか
冒頭、転校してきた藻屑は自己紹介でこう言います。
「ぼくはですね、人魚なんです」
これを見たとき、私は「何て痛いやつなんだ」と心が痛みました。
涼宮ハルヒが流行ったとき、自己紹介で「ただの人間には興味ありません」と言ってしまうような電波ちゃんの話かと。
でも実際は、彼女は電波ちゃんではありません。父親から虐待されている辛い現実を隠そうとしていただけなのです。
足を引きずり片耳が聞こえない、その理由が虐待だと周囲に告げたら、周囲は父親を非難するでしょう。しかし、好きな父親と離れ離れになるか、父親が周囲に危害を加えるかもしれません。
それを避けるために、自分は人魚だと言ったのだと思います。
虐待を受けていて可哀想な海野藻屑と周囲に思われるより、自分は人魚だと演技している変な海野藻屑と思われることを選んだのです。
自分を人魚だと言う砂糖菓子の弾丸は、誰も傷つけず周囲から興味を引くことができ、父親には周囲の銃口が向きません。
その考えから人魚として生きることを選んだのなら、彼女は自己犠牲の塊です。とても良い子じゃないですか。
幸せに生きることができたのかもしれません。ただ、人魚として生まれてこなければ。
砂糖菓子の弾丸は世界を撃ちぬけないけど
藻屑が放った砂糖菓子の弾丸は、海野藻屑の父親を撃ち抜くことはありませんでした。その結果が、この物語の結末につながっています。
砂糖でできた弾丸では子供は世界と戦えない。
最後のなぎさのモノローグではこう言っています。
子供は無力です。実弾を込めている大人には勝ち目はありません。
でも世界を変えることはできなくても、身近な人間は変えることができます。藻屑が放った砂糖菓子の弾丸は、なぎさとなぎさの兄を変えることができました。
そこの変化がなければ胸くそ悪い物語でしたが、一応救われる人もいる物語です。
ただ救われた人たちは皆実弾を持っていた人たちで、現実と向き合った人たちです。
担任教師は亡くなった藻屑に対してこう言っています。
「あぁ、海野。生き抜けば大人になれたのに……」
絞りだすような声。
「だけどなぁ、海野。お前には生き抜く気、あったのかよ……?」
強く印象に残った言葉。
現実と向き合わず理想ばかり追い続ける人には、世界を変えるどころか、生き残ることすら難しいのかもしれません。
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet (角川文庫)
- 作者: 桜庭一樹
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2009/02/25
- メディア: 文庫
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