言い負かされないために知っておきたい詭弁と強弁の特徴と対策
直接会って話したり、ネットで議論をしたりした際に、腑に落ちないけれども相手の意見に言い返すことができず、後になって「こう言えばよかった」と思うことはありませんか?
そんな人にぴったりな本ということで、『詭弁論理学』を読みました。
腑に落ちていないけれども言い返せないときは、たいてい相手は強弁か詭弁を使って言い負かそうとしてきています。ですが、強弁や詭弁はパターンを理解することで、どうして腑に落ちないのかを把握することができ、相手の意見のほころびも見つけやすくなります。
今回は、詭弁や強弁に泣かされる人が少なくなることを願って、一般生活で出会いそうな詭弁と強弁のパターンを例を添えて紹介したいと思います。くれぐれも悪用はしないでくださいね。
強弁の特徴
強弁とは、どうりの通らないことを無理に通そうとすることです。理屈抜きで意見を押し通そうとする姿は、強盗のようなものです。そんな強弁の手法から紹介していきたいと思います。
根拠はないが確信がある発言の押し付け
根拠はないけれども、自分の主張が間違っていないと思っている発言を相手に押し付けてしまう強弁の一つです。
例えば、「スマホで子供をあやすのは良くない」という意見に、「私は忙しいし、子供も楽しんでいるのだからスマホの何が悪いの?」と開き直って「何が悪いのか」と言ってしまうようなケースです。
上記のケースの答えに賛否両論あると思いますが、このような答えの出しにくい議論の場合は、開き直って「何が悪いのか」と言ってしまえば、立証の手間は言われた相手に移ります。それで、うまく返すことができなければ、「何が悪いのか」と言ったもん勝ちというわけです。
もしうまく返されたとしても、自分の意見は間違っていないと思ったうえでの「何が悪いのか」でしょうから、聞く耳を持ってくれないでしょうね。
逆らうものは悪である二分法
人々や考え方などを、二つに分けてしまう考えを二分法と言います。この二つに分けた意見のうち、自分の意見でないものを悪だと決めつけ、耳を傾けないという強弁です。
つまり、善か悪かの二つに分けてしまい、悪にはレッテルを貼って相手の発言を封じ込めようという手法です。
例えば「あいつは文系だから理系と話しても通じない」だとか「東大生のみが優秀で、それ以外の大学生は使えない」といったものが挙げられるでしょう。一度は聞いたり見たりしたことがあるかと思います。
この論法の汚いところは、「裏切り者のくせに」「二流大学にはわからない」といったレッテルに悪いイメージを持っている人間が意見を共有し、悪側の意見を根本的に間違えていることにしてしまうことです。そのため、いくら悪側の意見が正しいとしても「あいつは裏切り者だから」というレッテルで議論を終わらせてしまうのです。
相殺法
自分のことを棚にあげて、相手の重箱の隅をつつくようなことと相殺し、相手の意見をうやむやにしてしまおうという論法です。
例えば、隣家に「夜中のギター演奏はやめてほしい」と苦情を言ったが、「そちらだって昼間にピアノ演奏をしているじゃないか」みたいなやりとりです。
問題は夜中の音出しだったのですが、騒音に問題を変えてうやむやにしようとしています。
強弁対策
強弁対策の基本は、相手にしないことです。本では、小児型強弁と言われているものもありますから、相手のことを子供だから仕方ないと憐れんでこちらが大人になるしかないでしょう。
それだけ!?と思うかもしれませんが、泣いている赤ちゃんを相手にしているようなものなので、どうすることもできません。
ただ、そういう論法の人は周りから嫌われやすいので、放置するか共通の友人に出来事を話して株を下げるなどがいいんじゃないでしょうか。きっと勝手に自滅してくれることでしょう。
次は詭弁についてです。
詭弁の特徴
多少とも論理や常識をふまえて「相手を丸めこむ(あるいはごまかす)」のが「詭弁」である。
詭弁の嫌なところは、ごまかし方が上手い人と話をしてしまうと理屈は通っていないけれども納得してしまうところです。そういったことにならないように、詭弁の手法も紹介していきます。
曖昧な言葉を使う
「ほんとうの」「絶対的」「本質的」といった曖昧な言葉を使って、相手の考えよりも優秀だと主張する論法です。
例えば、「善」という言葉を例にあげてみます。あなたの善の意見に対する反論として
「お前のは偽善だよ。ほんとうの善というのは、お前の考えとは違うもっと高尚なことなんだ」
みたいなことを言われたとしましょう。
こういう言葉の対処は、「ほんとうの善って何?」と聞けばいいだけです。具体的な話を聞けたならば、さらなる議論を展開できますし、はぐらかされたならば、それ以上議論する価値はないでしょう。
ちなみに「ほんとうの」を「私の」に置き換えて言っているだけじゃないかという話もあります。だから、こういう言葉を使っている人は自分の意見をもっともらしく言いたいだけでしょうね。
間違った主張の言い換え
ここからは論理学的な要素がほんの少しだけ混じってきます。
間違った主張の言い換えとは、「AはBである」からといって、「BはAである」の論理になるとは限らないことを利用した論法です。
例えば、「1+1は2である」から「2は1+1である」というのは合っていますが、「天才は努力をしない」からといって「努力しないものは天才である」とは言えません。だから、「俺が勉強しないのは、天才だからだ」と言っているお子さんや友達が近くにいたら、殴って目覚めさせてください。それは詭弁です。
部分より全体に及ぼす誤り
「AはBである」というのは、(全ての)Aは(必ず)Bである」という意味でしたが、今回は「あるAはBである」という部分的なものを指した論理を「AはBである」としたことによる論理の飛躍です。
説明するよりも例を読んでもらった方が早いと思いますので例を挙げていきますが、「ある人間はテレビを見る」からといって「全ての人間はテレビを見る」とはなりませんし、「テレビを見ないものは、人間ではない」ということにもなりません。
もう一つ例を挙げると、ある一人の芸人が浮気を頻繁にしていたエピソードを聞いた時、「あの芸人は浮気を頻繁にする」というのを「芸人は浮気を頻繁にする」と置き換えてしまうことです。いわゆる主語が大きいというやつですね。
詭弁の対策
詭弁にはいろいろな手法があるので最善策というものはありませんが、詭弁に流されない常識や判断力を身につけることが対策となるでしょう。また、相手の意見は本当に筋が通っているのか吟味したうえで議論を進めていくことで詭弁に気付くことができるので、相手の話を信用しすぎないことも重要です。
まとめ
インターネットにも、強弁や詭弁を多用して自分の主張を展開していく人も少なくないので、その主張は詭弁や強弁なのかどうかを意識することで振り回されずに済みます。
納得は言ってないけれども言い返すことができないという人は、ぜひ『詭弁論理学』を読んでみてはいかがでしょう。