「風立ちぬ」を見て思う声優の大切さ
夏休みということで、暇だったので風立ちぬをレンタルしてきました。
この風立ちぬは、宮﨑駿監督の自称最後の長編アニメーション映画と言っているので、話題になりましたが、私が一番注目していたことは、この作品の主人公堀越二郎の声を当てる人が、エヴァンゲリオンなどの監督をしている庵野秀明だということです。
俳優が声を当てるということだけでも毎回批判されているのに、今回は素人が当てたということで上映してからは案の定、批判の対象に挙がっていました。
しかし、それはわかっていたことです。確か上映前か上映直後に笑ってこらえてで、密着取材をやっており庵野の収録現場も放送されていたので、どれほどひどいかはそれで少しだけ見ていましたから知っていた人も多いかと思います。
それでも、批判が多いということは相当ひどいのだろうと思って見たのですが、初めて堀越二郎が喋った時は笑ってしまいましたね。やはりひどいなーと。けれども、見ていくうちに慣れてきて一時間ほどした時には庵野であったことを忘れて、話が頭に入ってきておりました。人間って慣れるものですね。
でも待てよと。慣れたらストーリーに集中することができるから、問題ないじゃないかと思っていたのですが、慣れなきゃ頭に入らない作品も問題なのではないかと。せっかく絵や話に集中してもらいたいのに、声ばかりに頭がいってしまってはもったいない気がします。終わってみれば庵野で良かったという人もいるようですが、きちんと探せば監督が求める声優がいたのではないでしょうか。
自然体を宮﨑駿監督は求めていたようですが、それなら本人に似たような境遇のエンジニア連れてきたほうが良かったんじゃないかというのはさすがに暴論でしょうか、暴論ですね。んー、探すのがめんどくさくなったのか、話題性を求めたんでしょうかね。
結局、なんだかんだ言って面白かったです。